【訃報】木原光知子さん【死去】
【訃報】木原光知子さん【死去】
本当につい最近まで、「みのもんたの朝ズバッ!」などでコメンテーターをされていた木原光知子さん(59)が、18日午前、「くも膜下出血」のため、神奈川県の病院で死去した。テレビで見る木原光知子さんは、すごく元気でこの突然の訃報に驚きは隠せない方もきっと多いだろう。木原光知子さんが最初に倒れたのは、13日の午後に神奈川県平塚市で開催された親子対象の水泳教室指導中だったらしい。
日本水泳界を引っ張ってきた木原光知子さん。自由形の日本記録を何度も更新し、愛称「ミミ」で親しまれた。これからの活躍も期待されただけに残念でならない。心よりご冥福を申し上げます。
■木原光知子画像

■木原光知子プロフィール
木原光知子(きはら みちこ、1948年4月5日 - 2007年10月18日)は元水泳選手、元タレント、実業家、スイミングアドバイザーである。競技の現役時代、タレント時代前期、実業家として名前は本名の「木原美知子」となっている。
高校在学時に東京オリンピックに出場し「ミミ」の愛称で一躍アイドル選手となった。100m自由形が主であったが、400mや個人メドレーなどでもトップクラスのオールラウンダーであった。競技を引退後は東レの水着モデルを務めるなどタレントに転向。その後、東レ関連会社の役員や自らの水着ブランドや水泳教室を運営するなどビジネス界に進出。40歳を超えてからマスターズ競技に復活し日本記録を樹立している。また各種スポーツ団体や岡山県関連の理事・委員や日本水泳連盟理事(2005年 - )を務めるなどの多方面で活躍していた。
兵庫県明石市生まれ、岡山県で育ち、岡山市立南方小学校、岡山市立旭中学校、岡山山陽女子高等学校、日本大学文理学部卒業。未婚だが娘が一人いる。
2007年10月13日、神奈川県平塚市内のプールで親子水泳教室の指導中に倒れ、意識不明のまま平塚市民病院に搬送された。一時は意識を回復したものの、同18日午前1時25分、くも膜下出血のため死去。享年60(59歳没)。
■くも膜下出血とは
くも膜下出血(-まくかしゅっけつ、蜘蛛膜下出血、subarachnoid hemorrhage; SAH)は、くも膜下腔に出血が生じ、脳脊髄液中に血液が混入した状態をいう。くも膜下出血は全脳卒中の8%を占め、突然死の6.6%がこれに該当するといわれている。
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◇木原光知子さんプールで意識失い急逝
1964年の東京五輪に水泳選手として出場し、引退後はタレントとしても活躍した木原光知子(きはら・みちこ、本名木原美知子)さんが18日午前1時25分、くも膜下出血のため神奈川県内の病院で死去した。59歳。通夜がこの日夜、東京都目黒区の斎場で近親者だけで営まれた。後日、お別れ会を行う予定。13日にプールで倒れ、帰らぬ人となった。
木原さんは13日午後、神奈川県平塚市で開催された親子対象の水泳教室指導中に倒れた。プールの中で突然意識を失い、平塚市内の病院に運ばれたが、5日後に息を引き取った。
突然の悲報に、木原さんをよく知る人は「酒豪だったが、つまみには脂ものを一切食べず、野菜スティックに粗塩を付けてボリボリと食べていた。健康に気を使っていたのに…」と声を詰まらせた。倒れる前日の12日には、代表を務める「ミミスイミングクラブ」のスタッフに「しっかりやろう!」と激励。関係者は「変わった様子などなかった」と振り返った。
また、今月6、7の両日には、木原さんが大会委員長を務めた女性による水泳大会「ウーマンズ・スイム・フェスティバル」が行われており、「この大会に全力投球した。その後“疲れた”と漏らしていた」(関係者)という。この時には五十メートル自由形にも出場。泳ぎを見た人は「あんなに元気そうだったのに」とショツクを隠せない。
私生活では大腸がんを患った母親の看病に力を注いだが、その母親を残して旅立った。
活躍は幅広い分野に及んだ。東京五輪では女子四百メートルメドレーリレーのアンカーとして自由形を泳ぎ、4位入賞に貢献。自由形の日本記録を何度も更新する実力とともに、愛くるしい笑顔と「ミミ」の愛称で親しまれ、一躍アイドル選手に。日大在学中に競技を引退しモデルに転身。「クイズDEデート」など、バラエティー番組でも人気を集め、女優としてドラマや映画にも出演。最近もTBS「みのもんたの朝ズバッ!」でコメンテーターを務めていた。
2005年には日本水泳連盟理事に就任。水泳指導を行い、自らも選手としてマスターズ水泳の普及、発展にも貢献した。
◆木原光知子(きはら・みちこ)本名・美知子。1948年(昭23)4月5日生まれ、岡山県出身。岡山・山陽女子高在学中に東京五輪に史上最年少(当時)の16歳で出場。68年のメキシコ五輪日本代表選考会に落選し、現役引退。71年に日大文理学部卒業後、タレントやスイミングアドバイザーとして活躍。05年には日本水泳連盟理事に就任。
(スポニチより引用)
