【訃報】黒川紀章氏死去
【訃報】黒川紀章氏死去
奇抜な専用選挙カーでの選挙運動が記憶に新しい、世界的建築家の黒川紀章さん(享年73)が都内の病院で死去した。葬儀は親族だけで行われる模様。私の記憶では選挙活動の一環で、決して上手いとは言えない歌を歌っていた黒川紀章さんがいる。ちょっと変わった人ではあったけれど、残念なニュースだ。心よりお悔やみ申し上げます。
■黒川紀章さん画像

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◇黒川紀章氏が急死…妻・若尾へ最後の言葉「本当に好きだった」
世界的建築家で、今年は派手な選挙活動でも話題を呼んだ黒川紀章さんが12日朝、心不全のため都内の病院で死去した。73歳だった。参院選落選からわずか2カ月半後の突然の悲報。選挙期間中から体調を崩していたという。愛妻で女優の若尾文子(73)は「まさか急に亡くなるとは…」と憔悴(しょうすい)した様子。亡くなる2日前、若尾に「本当に好きだった」との言葉を残していた。
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建築界の世界的巨匠が逝った。今年はユニークな選挙戦で注目を集めたが、実は病身をおしての戦いだった。
黒川さんは今月に入って体調が急変。12日午前8時42分、入院先の東京都新宿区の東京女子医大病院で息を引き取った。妻の若尾ら親族が最期を看取ったとみられる。
急死の報が伝わった同日夕方ごろから、港区内の自宅マンション前には多数の報道陣が詰めかけ、親類や政界関係者らからの弔花が次々と届けられていた。
「まさかこんな突然急変するとは思いませんでした。こんなに簡単に亡くなるなんて…。とてもつらかったです」。同日午後8時すぎ、自宅でインターホン越しに取材に応じた若尾は、ため息交じりに消え入るような声で話した。
亡くなる2日前の10日、若尾が「あまり良い奥さんじゃなかったわね」と話しかけると、病床の黒川さんは「そんなこと、そんなこと…」と言葉を詰まらせた。そして「本当に好きだったんだから」。これが夫婦の最後の会話になったという。若尾は「この言葉だけは忘れません」と漏らした。
世界的建築家の故丹下健三氏に師事。20代後半から「建築界の寵児」として名をはせた。国内外で数多くの先鋭的な建築物や都市設計を手掛け、国内外の受賞歴は多数。現在では当たり前の言葉「共生」も、黒川さんの造語。50年近く前から生命の共存を唱え、時代の先端を走り続けた。
若尾とは8年越しの恋を実らせる形で昭和58年12月に入籍。その後も「おしどり夫婦」ぶりは続き、7月の参院選では黒川さんは東京選挙区、若尾も夫が設立した政治団体「共生新党」の比例代表で出馬。夫唱婦随の選挙活動を展開した。
だが昨年ごろから体調がすぐれず、選挙期間中に報道陣に隠れるように大量の薬を服用する姿も。若尾の出馬は、病魔を抱えた夫への最後の献身だったのか…。
「政界進出」という設計図だけは未完成のまま終わった。葬儀は近親者のみで行うという。喪主は未定。
■黒川紀章(くろかわ・きしょう)
昭和9年4月8日、愛知県蟹江町生まれ。京都大学工学部建築学科を経て、東京大学大学院博士課程で丹下健三研究室に学ぶ。独自の建築理論で昭和30年代から活躍。代表作に中銀カプセルタワービル、国立民族学博物館、国立新美術館などをはじめ、海外でもクアラルンプール新国際空港、オランダのヴァン・ゴッホ美術館、カザフスタンの新都市計画などを手掛けた。日本芸術院会員。昨年、文化功労者に。実弟は建築家で金沢美術工芸大教授の黒川雅之氏。
★“共闘”ならず中松氏も落胆
黒川氏と同様、今年の都知事選と参院選(東京選挙区)に出馬した発明家、ドクター・中松氏(79)は12日、都内で悲報に接し、「お互い好敵手として尊敬してやってきた。才能があり、惜しい人を亡くした」と落胆した様子で語った。
中松氏によると、1カ月半前、電話で「今度の選挙は一緒にやりましょう」と次期衆院選で共闘する申し入れがあり、「では『天才党』として一緒にやりましょう」と応じた。ただ、黒川氏の声は「弱々しく、かすれていた」という。
★石原都知事「一種の風雲児」
「一種の風雲児だった」。旧友にして都知事選では敵同士となった石原知事は12日夕、急死の報に驚いたような表情で語った。40年来の付き合いで「思い出はいろいろあるね。一番記憶に残っているのは突然、知事選に出たことだ。何で出たのかね」と笑顔ものぞかせたが、「非常に国際感覚のある人。同世代の才能ある人が消えていくのは残念だ。ご冥福(めいふく)を祈るだけです」と死を悼んだ。
(サンスポより引用)
